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高校生が自殺! 体罰を容認できますか? に参加中!

 

書くかどうしようかとっても迷ったんですけど,でもやっぱり残しておこうかなと。時事ネタです。正直どこまで確固たる想いが自分の中にあるのかな,ってのもあって迷ってました。

私立浜松日体高校の男子バレーボール部で顧問がバレー部員を平手打ちしていた動画がYOUTUBEにアップされ拡散された例のアレです。

浜松日体高校バレー部顧問体罰動画の反響を受けて

この問題なんですけど,おれも偶々Twitterで流れてきたリンクから該当の動画を見たんですよね。
あの,結構,ショックでした。びっくりしました。見たことを後悔したくらい衝撃的でした。

オレも中学,高校と通ってふつうに卒業しました。部活もやってました。因みに中学は吹奏楽部(トランペット),高校は水泳部でした。でもあの動画のような光景は見たことがありませんでした。だからびっくりしました。でもさらに驚いたのは厳しい体育会系の学校だったりするとどうやらそれは「割とふつうの光景」だってことです。

そうなのか,ここはまさにオレが通ってこなかった世界なんだな。しかも結構な人が見てきてた世界ぽい。

今までは,体罰に関してニュースになってましたが,ちゃちい正義感振りかざして「体罰はんたーーいっ」って言うのもなぁって。だって生徒は仮にそれがイヤだったら自殺する前に部活を辞めればいい。逃げ出せる。食っていけなくなるわけじゃない。死なない。この時に挫折を感じるのも大事。っていうか部活ってそもそもそんなに大それたものではない。と思ってたんだけど違うんだね。動画みて,Togetterを見て考えが変わりました。彼らの部活や顧問に対する位置づけがオレの学生時代のそれと全く異なっていました。

それを踏まえた上で,でもオレは,どう言った理由であれ,「学校」に体罰があるべきではないと思います。

まず2つに分けて考えた方がいいと思います。そうしないと話がたぶん広がりすぎると思う。Togetter見てても思った。まず,シチュエーションとして,部活における指導方法として絞らせてください。また体罰の定義として「物理的な暴力に限る」とした時に(まずはいったん区切ろう),

  1. 体罰そのものについては否定も肯定もしない
  2. ただし「学校(部活)」に体罰が持ち込まれることはどんな理由であれ否

だと思います。

まず1。
体罰そのものを否定する,ということまで言い切れる自信がオレにはありません。
事実,体罰で強くなることができた,という人もたくさんいるからです。でもオレ自身は結構疑っています。むしろ体罰があったから強くなれたんじゃなくて,なくてもちゃんと強くなれたんじゃないかと思います。自分もされたくないし,(一生ないけど)自分の子供にも体罰はされてほしくない。また学校以外の場で,体罰があってそれで強くなれるのであれば勝手に取り入れればいいのではと思います。

そして2。
1で半分くらい体罰を肯定しましたが,しかしながら体罰が原因で生徒に死人が出ている以上,どんな理由であれ「教育の場」での体罰は否定されるべきだと思います。学んでいる最中に命の危険があるのは決してあってはならないことだと思います。身も蓋もないコトを言えば,もうそれが現代だと思います。

大人たちは,きっとスクールウォーズをみて(冒頭に貼ったの,あれ皮肉よ),あんなような光景を見てきて,もしくは自身が体験しているかもしれない。それを受け継いで強くなっていったかもしれない。でもナンセンスですよ。違和感ありまくり。前時代的すぎる。そもそも学校でおこなっているのは「部活」であり,実業団でも,ましてやプロでもない。もちろんそこから日本の代表で未来のアスリートが輩出されるのもわかるのですが。でも「部活」です。あくまで「学習の一環」だと言うことを大人たちは忘れてはいけないと思う。

そして大人たちがしていかなくてはならないのは,この「体罰で得た勝利の栄光」という幻想を下の代に「受け継がせない」ことだと思います。Togetterで見るとわかるのですが,擁護する意見も多く,その多くが現役生やOB,OG,その教師と接してきた人達です。

そりゃそうだよね。擁護する気持ちはすごく理解できるんです。だって自分を高めてくれた恩師ですもの。仲間と勝利を分かち合うことをもたらしてくれた恩人ですもの。でもそれは「体罰がなく」もたらされなくてはダメだと思うし,体罰がないとそれができないと言う教師であれば,それは指導力不足だと思います。今の時代に合わなすぎる過去の成功例を断ち切らなくてはならないと思う。暴力で高みを目指すのは21世紀のやり方じゃない。

また生徒らが教師を擁護すること自体を否定はしないけど(でもそうさせたのは,体罰を是とした教師なんだけど),それが行き過ぎて動画をあげた人を詮索したり潰そうとしている,という行動につながるのであれば,やっぱりそれは指導方法が間違っている,としか思えない一例です。

大人たちが強い意志をもって体罰を持ち込まず,体罰は是の幻想を捨て,チームを強くしていかなくてはならない。その方法を見つけ,早急に生徒たちに教えてあげなきゃ,示していかなきゃならないと思うんです。それができないと体罰はいつまでもなくならないんだろうなと思います。

で,やっぱりそんなコト簡単にはいかないと思うので,すぐには体罰はなくならないんだろうな。
そして体罰を肯定できちゃう人はそんな簡単に考えは変わらないだろうな。
数々の過去の成功例を簡単には放棄できないよね。